袋小路

袋小路 物事が先に進まない状況になること。

清張と青春 ④

 十代半ば、母親とは衝突が絶えなかった。

 ある時は殺意を抱き、ある時は「死んでやる!」と叫んだ。思春期の大人への反撥、世の不平等や理不尽に対する嘆きである。そこで殺してやろうだとか死んでやろうだとか、物騒なことを考えていた時期もあった。

 しかし、当時は真剣になって親殺しの肩書きを欲した。殺害方法のヒントを得るためにあまりに夢中で読み込んだのでカバーはビリビリになっていて、それを発見した母親が言うことには、「流石私の子供(まさか娘に殺害計画を練られているとは気づかず自信たっぷりに)」なのであるから「流石私の母親」なのである。

 ビリビリのカバーはとっくに捨てたので丸裸になった文庫本、しかもページは珈琲に浸したみたいに茶色い、ページをめくる度微かに立ち上る実家の煙の匂いは当時の記憶を鮮明に呼び起こす。

 六畳の寝室や母親への反撥からくる殺意。今となっては跡形もなく消えてしまったが、「張り込み」を読むといつでも思春期のまっすぐな反骨精神を思い出す、それはまさに私だけの青春のバイブルなのだ。

清張と青春 ③

 松本清張の「張り込み」には「張り込み」の他に「カルネアデスの板」「一年半待て」「声」などが収録されていて、私たち人間誰もが感じたことのある"殺意"の行方が丹念に描かれている。

 「張り込み」を文学好きの母親に勧められて初めて読んだ当時、私は14歳だった。勿論不気味な程に現実味を帯びた人物描写や周到に計画された殺人は女子中学生が物語に求める痛快さ、ロマンチシズムとはかけ離れていた。しかし気づくと私は松本清張の描く犯罪小説にある種の希望の光を見出していた。

清張と青春 ②

 私の母親はヘビースモーカーで、部屋には煙草の煙や匂いが充溢していた。当時、私は煙草の匂いに極めて鈍感だった。

 ところで母親の煙草にはヒ素を極少量塗布しておいてある。一度口にしただけで死ぬ量ではなく、毎日毎日少量ずつ摂取することで体内に健康被害は蓄積されある日突然死んでしまう。致死量の毒を一度で摂取して死ぬのとは異なり、一見では毒死であるとバレない殺害方法だ。

 彼女はまさか自分のタバコに毒が盛ってあるとは知らない。

 この話は私が中学生の時に思い描いた完全犯罪のシナリオである。

清張と青春 ①

小田急千歳船橋駅から徒歩2分のアパート。

そこに引っ越してからは、夜は六畳の和室に二枚の敷布団、三枚の掛け布団を家族3人で分かち合う生活を大学進学まで続けた。

 私はいつも母親のみているテレビの音で目覚めた。人間は、自身の所有しうる記憶や情報を整理するために夢を見るという。テレビが寝室にあるおかげで交通事故に遭う夢、一家心中の夢を毎朝交互に見た。ニュース番組で流れる不幸な事件事故を無意識に聴覚で捉えて、夢の中で日常的に追体験していたのだ。

ママの作った話

昔ある所に、お母さんと、2人の幼い娘 花と緑が仲良く暮らしていました。

ある日3人の暮らす家に狼が訪ねてきてお母さんにこういうのです。

「幼い娘は食べ頃だ、おいしいに決まってる。だから2人を食べにきた。」

お母さんは困りましたが、とりあえず狼を外で待たせておくことにしました。

お母さんは自分の体をハサミで二つに切り分けて、外の狼に呼びかけました

「わたしが花と緑です。めしあがれ。」

お母さんはこうして花と緑を狼から守ってあげたのでした。

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電車はプラレールで十分

強く握りしめると掌に凸凹跡がつく

そんなおもちゃで十分

ちっさい世界で十分

ちっさい世界があったらいいな

ちっさい世界で一番になれないかな

おもちゃを舐めるとすごく味気なくて

よだれが染み込む余地もなくて

すぐに吐き出した